はじめまして、私はMJ(@MJBLOG0083)です。
こちらのサイトにアクセスありがとうございます。
私は、自動車教習所の指導員を15年ほど経験したのですがECサイト運営、サプリメントなどの商品企画と異業種の転職を成功?してきました。
転職に得たものはこんな感じです。
- 年間休日96日→126日
- 土日休み
- 年間残業時間720時間→150時間弱
- ITスキル(Photoshop、HTML,CSS)
- 家族と時間が合うようになった
- リモートワークもできる
- スキルに汎用性がある
当然、転職で得たのはいいことばっかりじゃないです。
- 長年勤めた退職金がリセット
- 10年以上務めた会社での信頼
- 戦友ともいえる同僚
- 会社が倒産しないという安心感
- 年収が100万ダウン
今後は、自分自身に付加価値をつけるためデータサイエンティストの勉強を行おうと思っています。
サービス業の人が感じている不安は以下の通りでしょうか。
- 休みや労働時間に不満がある
- 年齢に応じたスキルがつかないと不安
- 転職に使える汎用性の高いスキルがない
- 土日休みじゃない
- 家族と時間が合わない
- コロナ禍で売り上げが下がった
- コロナ禍で解雇になった
- 成長産業に努めたい
実際に目標に向かって努力して、現在の状態になっています。
いまサービス業を長く続けてもう35歳も超えているから転職が難しい・・・。
同じようにサービス業に従事しており、転職を希望しているが難しい人と思っている人の参考ブログにしてくれればと思います。
自己紹介、大学編
私はMJ(@MJBLOG0083)
家族は妻、自分。
子供なしです。
いま興味あること
- ブログ作成
- データサイエンス
- プログラミング
好きな事
- テニス
- スノボー
- 庭造り
- ジョジョ
- ドラゴンボール
- サマータイムレンダ
私はもう40歳手前の男で、社会人生活も22歳で大学を卒業したので15年以上になります。
大学の選択時は喘息やアトピーがひどかったため、同じような人を救いたいと思い、薬学部を受験しました。
現実は難しく不合格。
そこで、化学が好きだったので、都内の中堅、理系大学へ入学。
その後よくある大学デビューとなり、髪は茶色。
やることはスロット、パチンコなどと堕落大学生となっていました。
また家は建設関係の仕事を行っていたので、家に車が多くありました。
そこで、免許取得後、マニュアル車の運転などにハマったりしていました。
バイトも、パチンコ店、ラーメン屋、カラオケ店とよくある大学生でした。
そして、大学4年になりさぁ、就活となりました。
病気の発症
ここで忘れもしない、大学4年の5月・・・。
と思っていたのですが、病院に行ったところ
お医者様より、衝撃の一言が。
と言われました。
これはもう、頭が真っ白になりましたね~。
結核は感染症なので、隔離病棟に入れられて2か月から6か月ほど入院なのです。
当時の、就活のメインは4月から8月までです。
就活のメインの期間を入院で棒に振るのかーと非常にショックを覚えました。
隔離病棟に入院したのですが、適切な治療を行っているのですが、まったく良くならない。
1か月隔離病棟にいたのですが、変化なし。
そこで、肺視鏡という肺のカメラを使って状況を確認するとのこと。
なんと・・・・
・・・
・・・・
・・・・・
結核じゃなく、アレルギー性肺アスペルギルス症です。
簡単に言うと、肺にアスペルギルスという真菌(カビ)が生える病気です。
症状はずっと微熱、咳、淡、などがずっと続く病気です。
治療をせずにいると肺が壊死するらしいです。
治療は主にこんな感じです。
- 治療には内服のステロイドをずっと飲むこと。
- また抗真菌薬としてイトリゾールという薬を飲むこと。
- それを一生続ける事。
途中で、治療を修正した結果。
功を奏し、咳などが減少していきました。
回復の途中で、咳したら真っ黒な淡の塊?!がでたのがビックリしました。
そんな感じで、退院が8月でした。
内服ステロイドを飲むと顔がムーンフェイスといってパンパンになるのですね。
大学の仲間に笑われた記憶があるし自分自身もアンパンマンとして笑いを誘っていました。
そこから就活をしたのですが、今までのバイトの経験や病気のこともあり上手くいくはずもありません。
就職氷河期&堕落大学生&病気のトリプルパンチで不採用の連続
内定には程遠く、何とか卒業し、就職せずに社会に出ました。
当時、そのままカラオケ店のバイトを続けて転職活動をしていました。
しかし、何のとりえもない大卒が受かるわけもなく、同僚は新入社員研修などを受けているなか自分はバイトをしている・・・。
悔しい思いをしていました。
そこで、兄が大型バイクの免許をとるため教習所に行き当時の部長とコネクトができ、私に、教習指導員の求人を紹介してくれました。
私は車の運転も興味あり、緊張している車の運転を楽しく教えたいと思い応募しました。
そこで面接をし、連絡を待っていたところ
紹介してくれた部長より連絡がありました、結果は・・・。
でしたね、どうやら面接の際にプレゼン資料を作って面接官に渡したのがNGだったようです。
シクシクと悲しんでいたら、
その後、電話で、そちらの部長が
とのことで部長のパワーで何とか合格に至りました。
しかし、こんな不安が頭によぎりました。
病気になった私の新たな不安
- ステロイドの副作用
- ムーンフェイス
- 疲れやすい
- 肥満
- 躁鬱状態
- 薬代 月2万・・。
その後ステロイドを服用しながら仕事と社会という荒波に揉まれていくのでした・・・
病気と仕事、激動の教習所時代へ、続く。
みなさん、こんにちは、MJ(@MJBLOG0083)です。 私は、都内の某・理系大学で大学4年の就職活動開始直前に、咳が止まらなく、結核疑惑で入院しました。 その後、治療をしても快方に向かわず、肺のカメラをした結果・・・・。 […]